第二次世界大戦中、旧日本海軍の特攻隊員の出撃拠点があった海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)で、米軍の攻撃から航空機を守るために造られ唯一残っていた掩体壕(えんたいごう)が解体された。一部は隣接する史料館で展示される。海自は補修や移設の費用の面から保存を断念したが、地元では貴重な戦争遺跡の撤去を惜しむ声も出た。
海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を米軍の攻撃から守るほか、日本軍の物量を誇示する目的もあったという。戦争末期には、多くの特攻隊員がこの地から出撃した。
解体された掩体壕は、幅約18メートル、奥行き約11メートル、高さ約4メートルのかまぼこ形のコンクリート製。海軍航空隊基地の敷地内に、昭和19~20年ごろに造られた。内部の壁面に、当時使われた土が残っていた。基地内外には、こうした掩体壕が約200基あったとされる。