故ザハ・ハディッドの案が白紙に戻され騒動となった新国立競技場の建築問題。
2020年に控えた東京オリンピックまで時間のない中、設計を任された建築家・隈 研吾はどのような想いでこの建築に取り組んでいるのでしょうか。
1954年、神奈川県横浜市に生まれた隈氏は、木材を使うなど「和」をイメージしたデザインが特徴的で、「和の大家」とも称されています。
限られた時間のなか、一度決まった建築案が白紙に戻されるという非常事態のなか、建築家として今回の任務を請け負った隈氏は「火中の中の栗」を拾ったと話ます。
建築の設計にあたって意図することは「なるべく建物の高さを低くしたい」「地元の自然素材を使いたい」という2点だけだから単純なんですと笑いながら話す隈氏はこの状況をも楽しんでいるのかの様に思えます。
1964年、第1回の東京五輪に建てられた建築家・丹下健三氏の建てた国立代々木競技場を見て建築家になろうと決めた隈氏。
期待を持って新国立競技場の建築を見守って行きたいですね☆
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